1670回 会長挨拶

みなさんこんばんは

まずはゴルフの話で恐縮ですが、今年もほとんど毎週ゴルフにいっているんですが、スランプといいますか、実力どおりといいますか、90台後半ばかりで、いまいち納得がいくゴルフができていません。

そこで先日、飛ぶボールを買いました。「飛匠レッドラベル・極」という、飛びそうな名前のボールでして、スポーツニッポンには「世界最高反発で噂の38ヤードUP」と書いてありましたので、大いに期待しておりましたが、

実は、飛ぶボールというのは、当たれば飛ぶボールでありまして、しょぼい当たりばかりで、効果なしでありました。

飛ぶボールにしても、飛ぶクラブにしても、当たれば飛ぶわけでありまして、皆さんもお買いになるときは注意していただきたいと思います。

さて、今日は、夜間例会ということで、奥様方大勢いらっしゃていますので、「認知症にならないためには、ゴルフが一番」という話をしたいと思います。

先ごろ、厚生省が発表したデータによると、65歳以上の10人に1人が認知症だそうであります。

日本は今、超高齢化社会であり、また長寿社会でもあります。今日も、平均寿命が男女とも過去最高というニュースがありましたが、今の世の中、お年寄りが多く、また、いやでも長生きする時代ということになります。

長生きしても、認知症で、ただ生きてるだけでは、周囲に迷惑をかけるだけで、認知症になれば、それさえも自覚できないわけで、辛いものがあります。

「前途に、生きる希望が満ちあふれてこその長寿」であります。

幾つになっても、若々しく健康でいたいと、誰もが思うわけで、認知症にならないためには、どうしたら良いか、気になるところであります。

この認知症予防のポイントは、

①食生活 ②運動 ③生活習慣 ④頭を使う の4点だそうです。

では具体的に何をすれば効果的かといいますと、ゴルフが最も効果的だという説があります。

NHKのニュースによると、認知症の研究を行っている国立長寿医療研究センターが、ゴルフが認知症の予防にどのような効果があるかを実際に確かめるため、埼玉県日高市のゴルフ場を使って、10月から半年間にわたって検証を行うことになり、65歳以上の方、120人を募集中だそうです。

ゴルフの一番の効能は歩くことです。

1日1ラウンドをプレーすれば、カートに乗っても、およそ15000歩前後は歩きます。カロリーを消化し、血液の循環をよくします。

通常は1日5000歩あればいいほうで、家に閉じこもっている人は、2000から3000歩程度です。これでは、体内にカロリーや老廃物が溜まる一方で、血のめぐりも悪くなります。

長時間、長距離歩くことで、足腰の鍛錬にもなります。

ではゴルフは歩くだけかというと、頭を使います。

ホールの攻め方、ショットの距離感、アプローチの力加減、パットの読み、

握っていれば、相手との駆け引きもあれば、心の探りあいもありまして、負けまいとする闘争心で、心も体も活力が湧きます。

この結果、脳が活き活きとしてボケるヒマもなくなります。

認知症の予防には、趣味を持つことが大事です。

好きなことに没頭すれば、脳は活性化し、働きが良くなります。

その点ゴルフは一度やったら、はまり込むスポーツです。

年をとったから、止めるのではなく、年をとったからこそ、ゴルフに励めであります。

私の父は、昭和2年生まれで、今88歳ですが、60を過ぎてからゴルフをはじめ、今も現役で、月2,3回ゴルフに行きます。年のせいか、多少ボケてはいますが、認知症ではありませんし、ゴルフ代を稼ぐために、今でもパセリを出荷しています。まさに認知症予防の効果を立証しているのではないかと思います。

奥様方には、是非ご主人に、毎週ゴルフに行くように勧めて頂きたいと思いますし、まだ一度もゴルフをしたことが無いという方は、是非この機会にゴルフを始めてみてはいかがでしょうか。絶対に効果があると思います。

 

 

1669回 会報

例会の様子はこちら →  RC1669表 RC1669裏

1669回 会長挨拶

みなさんこんにちは

本日は、ガバナー訪問例会ということで、原ガバナーようこそ茅野においで下さいました。後でゆっくりお話をお聞きしたいと思いますので、よろしくお願い致します。

さて、今日の話ですが、福沢諭吉の話をしたいと思います。

福沢諭吉といえば、皆さん大好きな1万円の顔でありますし、慶応大学の創設者であり、知らない人はいないわけですが、今日は、ちょっと違った面から話をさせて頂きたいと思います。

明治維新によって出現した新政府は、もともとは「攘夷派」の志士たちでつくられました。ところが、新政府をつくった後に彼らが行った政策は、まさに開国です。つまり、日本の国際化でした。これは、攘夷一辺倒で生きてきた連中から言わせれば、大きな裏切りです。そして、この攘夷から開国に踏み切らせるきっかけになったのは、福沢諭吉の『西洋事情』という一冊の本であったと言われています。

明治維新前の幕末に、諭吉は3回外国に行っています。最初はアメリカで、2回目は、フランス、オランダなどのヨーロッパで、3回目は再びアメリカにわたっています。そして、大量の本を買い込んできています。

『西洋事情』を出版したのは、慶応2年のことです。明治維新寸前であります。これは、幕府にとっても、大名にとっても、相当な影響を与えました。はじめて外国の事情が、この本によって具体的に明らかにされたからです。

そのために、「攘夷などというのは空理空論で、とうてい実現できない。小さな島国である日本が、いくら突っ張っても、とうてい外国にはかなわない。攘夷などという空理空論をふりまわすよりも、むしろ国を開いて日本を国際化し、近代社会の一員として国力を増強することの方が大事だ」という考えが、どんどん発展していきました。

その意味では、福沢諭吉が行ったことは、日本の近代化のために、単に外国事情を紹介したにとどまらず、日本の政府の政策を大きく転換させたといっていいと思います。そして、諭吉のやったことで、最も日本の近代化に役立ったのは、「日本をオランダ語社会から英語社会に転換させた」ということです。

福沢諭吉がオランダ語を捨てて英語に走ったのは、彼の痛い経験に基づいています。それまでの日本は鎖国下にありましたが、全面的に外国との交流を断っていたわけではありません。長崎を窓口にして、オランダと中国とは交流していました。オランダは世界各国の中で、日本と交流し続けた唯一の国であり、日本人はオランダ語以外、外国語を知りませんでした。徳川時代に外国の学問を勉強するということは、そのままオランダの学問を勉強するということでした。

福沢諭吉は若いころ、大阪の緒方洪庵の適塾で学びましたが、もちろんここで教えるのも、オランダの学問でした。ここでオランダ語を学んだ諭吉は、あるとき思い立って開国後の横浜に行ってみました。「いままで学んだオランダ語を、実地に試してやろう」と思ったのです。

ところが横浜に行って驚きました。オランダ語など一つもありません。書かれている言葉は、通りの名前を示す表示板も、また各外国の商店に掲げられている字も、すべて英語でした。そして、残念ながら諭吉は、その英語がひとつも読めませんでした。また、会話に使ったオランダ語も、チンプンカンプンでまったく役に立ちませんでした。この日諭吉は深い絶望感に陥りました。今日までの勉学が全部ムダになったからであります。家に戻ったが一晩中眠れず「一体いままで何を学んできたのだ」と口惜しがりました。

オランダ語だ、オランダ学だ、といって、オランダの学問だけを国際社会に進む唯一のものに考えて積み重ねた努力が、まるっきりバカのように思えました。

彼はこの日決断しました。それは、「今まで習ったオランダ語を惜しいが全部捨てよう。そして、あらためて英語を学ぼう」ということであります。福沢諭吉のこの決断の時が、その後の日本の運命を大きく変えたのであります。

福沢諭吉が書いた「西洋事情」や「学問のすすめ」をはじめとして、彼が出版に最も力を入れたのは「英語」の日本導入でありました。これが日本の近代産業発展に大きな役割を果たしたことは、言うまでもありません。

今まで自分が培ってきたものや既得権益が、時代の流れに合わなくなったとき、それを思い切りよく捨てられるかどうか。変革期における発展の分岐点がここにあるのだと思います。

ロータリーは今、会員数の減少や会員の平均年齢の高齢化といった大変大きな問題に直面しており、まさに変革期にあります。そんな中、今年、国際ロータリーは歴史的な決断をいたしました。先週の第一回例会でお話しましたが、規定審議会において、国際ロータリーの定款の規定が改定され、例会は月少なくとも2回開けばよいこととなりましたし、また会員資格についても、会員資格6項目が削除され、会社役員や専門資格者でなくても、主婦でも普通のサラリーマンでも、奉仕する意欲のある人でしたら入会できることになりました。すべてクラブの裁量に委ねられることとなりました。

111年の歴史を持つロータリーが、頑なに守り続けてきた、例会回数や会員資格といったロータリーの金科玉条とも言うべき根幹の規定を切り捨てたという、この決断が、これからのロータリーの発展の転換点になるのではないかと期待しております。

1668回 会報

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1668回 会長挨拶

みなさんこんにちは

さて、先週の木曜日、7月7日の七夕の日でありますが、大西卓也宇宙飛行士を乗せたロシアのソユーズ宇宙船が打ち上げられました。日本人の宇宙滞在は11人目となります。皆さんは、日本ではじめて宇宙へいったのは誰か、ご存知でしょうか。普通の答えは元TBS社員の秋山豊寛さんなんですが、私の勝手な見解ですが、かぐや姫ではないか、と思っております。そのかぐや姫が主人公の「竹取物語」では、かぐや姫は月へ帰る時、不老不死の薬を帝に献上しています。不老不死の薬は、古今東西誰もが欲しい薬ですが、いよいよ現実味をおびてきました。

動物実験で、老化を抑制する効果が判明しつつある長寿物質、NMNを人間に投与して安全性や効果を調べる臨床研究を、慶応大学とアメリカのワシントン大学が計画しているという新聞の記事がありました。

NMNというのは、ビタミンB3の一種で、ニコチンアミドモノヌクレオチドの略で、長寿に関係する遺伝子であるサーチュイン遺伝子を活性化させる働きがあるといわれています。私は医師ではないので、全くわかりませんので、詳しいことを知りたい方は、池田先生に聞いて頂くか、ネットで調べてみて下さい。

生後22ヶ月(人間では60歳)のマウスにNMNを1週間投与したら、細胞が生後6ヶ月(人間では20歳)の状態になったということで、60歳が20歳に若返るという、まさに夢のような物質であります。池田先生の健康診断で血管年齢90歳と宣告された私としては、どうしても手に入れたい薬ですが、ようやく人間の臨床研究が始まろうとしているところであります。

2011年にワシントン大学の今井真一郎教授が、マウスの実験で、糖尿病に劇的な治療効果を上げたNMNの存在を世界ではじめて報告しました。それからのちに、その物質は、糖尿病に限らず、さまざまな臓器や目、さらには能などの老化に伴う症状を改善し、若返りの効果があることが判明してきました。

このNMNという物質は、もともと私たち全員が体内に持っている物質で、人間は50台後半から60台のあたりで、この物質を作る能力が落ちてくるので、その少し前からNMNを摂取し補充するのがよいそうであります。

ただ、万能の薬ではありません。健康な期間を長くすることはできますが、寿命を何倍にも飛躍的に増やしたり、不老不死が望めたり、ということはありえません。

今井教授は、「お年寄りになっても、より健康的で活発な時間を過ごし、人生を充実させるために使って頂けると思っています。」と語っています。今井教授にとって、「人間が死から免れること」が研究の目標ではありませんし、老化という現象を完全になくせるとも思っていません。今井教授が、研究の究極の目標にしているのは、「人間が充実した、健康かつ幸せな人生を送ること」であります。

今井教授は次のように語っています。「ニーチェは、『偶像の黄昏』という作品の中で、『人間は死ぬべき時には死ぬべきだ』と言っています。ある意味においては、いずれ人生を全うして、この世から去る、ということは、重要なのではないでしょうか。そのときに大事なのは、自分の人生が充実していたかであり、自分が幸せであったかなのだと思います。」今井教授の哲学であります。

さて、かぐや姫の話にもどりますが、かぐや姫から不老不死の薬を贈られた帝は、どうしたでしょうか。実は、服用せずに、薬を焼き捨てました。「姫に逢うこともかなわず、悲しみに沈むわが身には無用である」といって焼き捨ててしまいました。「前途に、生きる希望が満ちあふれてこその長寿だ」と、物語の作者は言いたかったのかもしれません。「竹取物語」は、成立年も作者もわからず、平安時代初期の日本最古の物語と伝えられておりますが、今井教授の哲学に通じるものがあるのではないか、と思います。

そんなことで、本日の会長挨拶を終わりにしたいと思います。