新会員卓話
私は昭和35年1月25日生まれの55歳です。出身は岡谷市で、今地盤の安全性の点で閉校になると言われています岡谷小学校を卒業しました。調べましたら創立140年余の歴史だそうです。兄弟は3人で兄と妹がいます。妹は山梨の甲府市のお寺に嫁いでいます。創業は昭和34年10月1日で、今年で56年目を迎えます。仕事の内容は精密板金加工業です。板金といいますと自動車板金とか建築板金をイメージされる方が多いと思いますが、弊社は板材をレーザー光でカットしたり、金型を組み合わせることにより様々な形状に抜き、折り曲げたり溶接したりして、お客様の仕様図面に基づいた製品を製作しています。機械も以前は技術を持った職人の世界でしたが要素技術のデータベース化が進んできて、必要な時に必要なデータが瞬時に取り出せる仕組みが構築されていますので、それほどの経験がなくても比較的容易にモノ作りができる環境下で事業を行っています。又弊社で使用しております機械が神奈川県に本社がありますアマダというメーカーがメインとなっておりますが、国内を問わずに海外からもお客さんを連れて来られ見学コースにもなっております。もし興味ある方がございましたら、お申し付け頂ければご案内いたします。
株式会社芳澤建設で個人住宅の仕事をしています。原村生まれの原村育ち、昭和42年7月4日生まれで今年48才になります。父が建築業を始めました。土日になるとお手伝いをやらされました。やりたくなくて、絶対後は継がないと思っていました。10年間ホテル紅やに勤め、25才からは5年間2階のレストランサンセットの店長をしていました。実家を建て増しすることになり、仕事は夜が主だったので、昼間は出来るだけ大工の仕事をした。子供は原村の保育園に入れるつもりだったし、自分は10年後何をやってるか考えた時、30になる時で子供も3人目が出来るとき、家業を継ぐつもりで、きっぱりホテルをやめ、実家に帰った。当然仕事があるわけではなく、ハウスメーカーの下請けなどしてあまり儲からなかった。怪我をして指を落としてしまい、現場は無理だから営業で仕事を取って来いといわれた。35才くらいから、PTA・区会議員・商工会青年部などの地域の役をやるうちに、ぜひうちの仕事をやってくれと声をかけられるようになり、周りからだんだん信用されるようになり、芳澤建設として仕事を請けるようになった。父への恩返しのつもりで、3年前に会社組織にして、父を取締役会長にした。あまり大きい会社ではないが、信用と信頼でやっています。人と人との繋がり信頼で仕事をいただいているのがほとんどです。人と人との繋がりを一番大事にしています。
Last Update:2015年05月27日