皆さんこんにちは。本日は2人の新会員の入会式が行なえるということで、大変嬉しく思っておりますが、クラブテーマの「見つめ直そう。ひとりひとりがロータリー」についてお話ししたいと思います。
7月1日から茅野ロータリークラブの会長をお受けして一番悩んでいることは、〔ロータリーを一言でいうと何なのか〕ということであります。 茅野クラブは諸先輩のご努力により現在メンバー数が本日で57名となり諏訪地区では一番多い人数となっています。若く希望に満ちた新会員を迎えるにあたり、ロータリーとは何かを一言で伝えることは非常に難しいことであります。会長をお引き受けするにあたり、ロータリーに関する各文献をあたりましたが、まだなかなか読みこなせていないのが実状です。
ロータリークラブは、自分自身の職業奉仕を基本としているということです。対外的に目立つ事業をするのではなく、あくまでも自分ひとりひとりがロータリーの原点であります。
文献の中で3つ程これかな、というものがありましたのでご紹介致します。まず1つ目は米山奨学会の創始者である米山梅吉さんが言っておられますが、「ロータリアンの不平には3種類ある。その一つは、飽きる一向につまらぬと言って出席しない人。これはどこの団体にもあることで致しかたない。その二つは、ロータリーの活動が足りない、もっと社会的にも政治的にも口を出せと力瘤を入れる人。その三つは、ロータリーは何処に行くのかと悲観する人である。ロータリーには見えない仕事があり、目立たないところに妙味がある。」と。米山さんに続いて二代目ガバナーになられた井坂孝さんは言われました。「ロータリーは着物の裏を整えて着心地を良くするような仕事をしている。身体に密着するのは表でなく、着物の裏である。ロータリーも生活に密着して住み良い世の中を作ろうとしている。最近のロータリーは表生地の良さだけが論じられることが多いようですが、もっと裏生地の良さ、仕立ての良さを評価されなければならぬと思います。」と。三代目ガバナー村田省蔵さんは、「ロータリーは銭湯の如し。着物を脱いで裸になれば身分はない。浴槽に一緒に浸って本音で語り合う。」とおっしゃっております。
又、2014―2015年度ロータリーの関連資料に決議23―34が出ております。これはロータリークラブについての決議ですが、ロータリーのあり方について書かれておりました。その中には「ロータリーはひと固まりとなって行動するだけで足りる様な事業よりも、広くすべてのロータリアンの個々の力をそれぞれ動員することの方がロータリーの精神にかなっている。ロータリークラブでの社会奉仕活動は、ロータリークラブの会員に奉仕の訓練を施すために考えられた、いわば研究室の実験としてのみこれを見るべきである。」と書かれておりました。少し翻訳が良いかどうかわかりませんが、ここには同じ奉仕団体であるライオンズクラブとの違いが書かれている様な気がいたしました。
本日は2人の新会員ををお迎えするにあたり、まだ理解途中でありますが、ロータリーについてお話し致しました。以上で会長挨拶とさせて頂きます。
Last Update:2015年09月30日