1731回 会報

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1731回 会長挨拶

 皆さんこんにちは
 本日の唱歌は「かあさんの歌」を歌っていただきました。
作詞、作曲は、窪田聡さん昭和10年、東京に生まれて現在は、岡山県、瀬戸内市に住んでいます。
 窪田聡さんは、進学校として知られる開成高校に進みましたが、太宰治の「非社会的で倦怠感に、溺れた」生き方に憧れ、授業をさぼっては映画・たばこ・酒に溺れる日々を送っていました。
 やがて進学の時期が来ました。同級生たちのほとんどが、有名大学をめざす中彼は文学で生きていく決意を固め、親が準備した入学金・授業料をもって家出をしてしまいます。
 東京に出た彼は安い、下宿に隠れ住んで就職しましたが、そのかたわら、音楽が好きだったので、中央合唱団の研究生になりました。しかし、給料が少なく食べていくのがやっとの生活で文学に、邁進するどころではありません。
 そのころ、共産党の人たちが中心になって進めていた「歌声運動」に多くの若者たちが惹きつけられていました。彼もその1人で楽しそうにロシア民謡を歌う人びとの姿が、彼の目にはまぶしく映りました。とうとう彼は、文学を捨て共産党に入ってしまいます。
 そのころ、母親から小包が届き始めました。両親が心配し兄が彼の下宿を探し当てました。小包のなかには彼の好きな食べ物や、手編みのセーター、ビタミン剤など「体をこわさないように」といった母親の手紙も入っていました。
 高校の同級生たちの多くが有名大学に入り、高級官僚や一流企業の社員になっていきましたが彼はアコーディオを抱えて、全国で歌声運動を指導しながら回る生活を続けていました。この歌はそうした生活のなかで、母親への思いと、疎開時代に見た長野県の信州新町の田舎の情景とが重なって生まれた歌です。
 最後に、「かあさんの歌」ではありますが2番の「おとうは土間で藁うち、仕事」の部分に自分の勝手な生き方を、黙認してくれた父親への気持ちも込められています。
 以上で、この歌の誕生秘話なり会長挨拶と致します。ご清聴ありがとうございました。

1732回 会報

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1732回 会長挨拶

皆さんこんにちは
 今月は、ロ-タリ-設立月間になりました。ロ-タリ-設立は2月23日です。当クラブの栁澤孝男会員の誕生日でもあります。今日は、ロ-タリ-の設立についてお話しようと思います。
 時代は1905年2月23日にロータリーは、一人のアメリカ人のビジョンによって始まりました。その人の名は、ポール・ハリスさんで、シカゴで弁護士として働いて、世界初のロータリークラブ(シカゴ・ロータリークラブ)を設立しました。
 さまざまな分野の職業人が集まって知恵を寄せ合い、生涯にわたり友情を深めることができる場をつくれるか、ハリスさんの夢でした。以来110年以上にわたり、ロータリーの会員は、世界が抱える数々の問題に取り組んできました。今やロ-タリアンの活動成果によって、ロータリーを知ることになりました。
 ロータリーには、創設時から現在まで変わらない3つの特徴があります。
まずは、ロータリーの「国際性」です。創設後わずか16年の間に、ロータリークラブは6大陸へと広がりました。日本では1920年(大正9年)に初のロータリークラブ(東京ロータリークラブ)が設立されています。今日、現在も世界が直面するさまざまな、諸問題に応えるために、世界のほぼすべての国と連携をとり活動しています。
 2つ目の特徴は「粘り強さ」です。第二次世界大戦中、ドイツ、オーストリア、イタリア、スペイン、日本のロータリークラブは、ロータリーからの脱退を余儀なくされました。しかし、これらの国々のロータリアンは、リスクを承知で非公式にミーティングを続けました。戦後、ロータリーに復帰したこれらのクラブは、ロータリーのみならず、国の再建においても大きな役割を果たしました。
 最後の特徴は、「奉仕の継続」です。ロータリーは大きな夢を掲げ、常に高い目標を掲げています。1979年、ロータリーは、フィリピンで600万人の子どもたちにポリオの予防接種を行うプロジェクトを開始し、これが世界的なポリオ撲滅活動のきっかけとなりました。野生型ポリオウイルスが存在する国は、1988年の125カ国から、現在はわずか3カ国に減っています。以上がロ-タリ-の特徴になります。ご清聴ありがとうございました。

1730回 会報

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