1643回 会長挨拶

前回例会時にお話ししたお金の話の受けが良かったので、今日は1万円札に限ってお話を追加したいと思います。
例会終了後に、あるメンバーから1万円の重さは何グラムか知っているかとのご質問を頂きました。答えは後程ということで1万円札の話に戻ります。
今まで発行された1万円札にはC号券、D号券、E号券の3種類が存在します。まず最初に発行されたC号券でありますが、昭和33年に表面は聖徳太子、裏面は鳳凰でありました。これが昭和61年まで約28年間続きます。大きさは今の1万円札より縦横とも少し大きな紙幣でした。次に発行されたのがD号券で、昭和59年から平成19年まで続きます。停止と発行の間には3年位のタイムラグが生じています。表面が福澤諭吉で裏面が雉でした。これが一万円札を雉色という由来でしょうか。本人の肖像の下には、旧字の「澤」でなく「沢」に直されているのが特徴です。又、裏面の中央下には印刷元として、当初の「大蔵省印刷局製造」から「財務省印刷局製造」を経て、現在は「国立印刷局製造」と書かれております。
現在流通しているE号券は平成16年からで、表面は福沢諭吉で裏面は平等院の鳳凰像です。特徴としては表面の左下にホログラムが使用されており、見る角度により桜、日銀のロゴマークと10000の文字が見えます。D券に偽造が多かったためホログラムが採用された様です。
それでは本題に戻ります。現在流通している一万円札は縦76mm、横160mmです。ちなみにドル紙幣は縦が66mm、横が156mmで少し小振りとなっています。
問題の重さですが、一万円札の重さは約1gといわれております。硬貨でいえば1円玉が1gだそうです。お金の価値は10,000分の1ですが。そうしますと1億円は10㎏、3億円は30㎏、なんと5億円は50㎏となります。
次に厚みですが、1枚当たり0.1mmだそうです。帯封のついた100万円の束の厚さは約1㎝(重さは100g)となります。見たことはありませんが、1億円の高さは約1mになるという計算です。
先日テレビで放映された3億円の脱税事件ですが、壁一面に100万円の束を敷きつめ、それに壁紙を貼った手口がありました。インクの匂いを消すために、いつも葉巻を常備していたそうです。
お金の話をすると何故だか心がポカポカするのは私だけでしょうか。
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1642回 会報

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1642回 会長挨拶

12月(師走)に入りましたので、本日はお足の速いお金のことについてお話をさせて頂きたいと思います。紙幣研究家の研究をもとに話をさせて頂きます。
聖徳太子と言えばお札の代名詞のように言われていましたが、なぜでしょうか。戦後の高度成長期のある時期に千円、五千円、一万円札が聖徳太子という時代があったからの様です。最初に聖徳太子がお札の候補になったのは1887(明治20)年ですが、初めて聖徳太子の肖像入りのお札が誕生したのは1930(昭和5)年です。
戦後の新円切り替えでは、銀行に預けてあるお金の引き出しを制限した上で、国民の財産額を調査、確定して財産に応じて課税する財産税の導入が計画されました。当初は1946(昭和21)年の夏に実施される予定でしたが、計画が漏れてお金を引き出す動きが出始めたため、急遽3月に繰り上げて実施されました。ところが、それではお札の製造が間に合わないということで、印刷局だけでなく民間企業も動員してお札を印刷しました。それでも間に合わず、小さな証紙を刷り、お札に貼って新円の印にすることになりました。証紙はシートで各家庭に配布され、ご飯粒を糊代わりにしてお札に貼り付けた事例もあった様です。私は経験がありませんが、戦後のハイパーインフレが進む中で、お札に貼る証書が間に合わず、金庫の中のお金がインフレで、紙同然になったと母方の祖父が晩酌の時よく話をしてくれました。現代においてはお札を後生大事に持っていますが、一寸先は闇かもしれません。
新円切り替えで発行されるお札のデザインは、すべてGHQの許可が必要とされました。1円券は、日本書紀に出てくる忠臣として有名な武内宿禰(タケウチのスクネ)からアメリカにとって民主主義を代表する二宮尊徳に変更されました。五百円券も弥勒菩薩で申請されましたが、弥勒菩薩の表情が敗戦国日本人の悲しみを象徴するものとして、最終的には聖徳太子に差し替えられて百円券として発行されたそうです。
さて、普段からお世話になっているお札ですが、皆さんは現在お札にはどんな模様が印刷されているかご存知ですか。手元のお札は見ないで下さい。壱万円札は表が福沢諭吉、裏が鳳凰、五千円札は表が樋口一葉で裏が尾形光琳のカキツバタ図、さて千円札の表は野口英世ですが、裏は何が印刷されているでしょうか。答えは逆さ富士山と桜です。一代前の千円札の夏目漱石とタンチョウ鶴の方がしっくりいった記憶があります。お金はもっと大事にしなくてはいけないと思う今日この頃です。
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1641回 会報

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1641回 会長挨拶

今日はリニアモーターカーについてお話しをさせて頂きたいと思います。リニアモーターカーについては、諏訪回りのルートをBルート、赤石山脈を抜けるルートをCルートといい、その路線検討については多くの時間を費やしましたが、結局平成23年5月にCルートに決定し、平成25年9月には長野県においては飯田市上郷飯沼地区の国道153号線付近に停車駅が設置されることが発表されました。
現在、飯田の上郷飯沼地区に、図面上比較的詳細に計画路線の概略位置並びに長野新駅の予定位置が発表されましたが、土地の動向についてはあまりかんばしくありません。昔、山梨県にリニア予定駅が発表された頃は、バブルの時期でもありましたが、引く手あまたで、国の方でも監視地域を指定するかどうかの検討をした位です。それがどうでしょうか。少し前の会長挨拶でお話ししたかもしれませんが、世の中の価値観が大きく変化しているように思えます。
今年の3月に北陸新幹線が金沢まで開通しましたが、その影響で地価が大きく上昇したのは金沢だけでした。長野県では飯山駅がありますが、なかなか駅前開発が進んでおりません。
飯田にいる同業の友人もそのことについて大変心配しております。高速交通網の発達により、地方も非常に便利になりましたが、地域の発展についてはまさしく選別の時代に入った様です。高速交通網は整備されたけれど、その地域に魅力がない場合「ストロー効果」といって、流入ではなく流出する現象の方が優先します。まさしく今、飯田がその問題に直面している様です。
リニアについては諏訪ルートは実現しませんでしたが、路線の取り合いの意味はあまりなかったということが段々はっきりしてきました。
街づくりのテーマ・問題は山積しており、その地域に住む人が知恵を絞って地域の魅力を高める努力を怠ってはいけないと思います。参考までに北陸新幹線及び中央リニア新幹線に関係する各地の最近の地価変動率は次の通りであります。
平成27年の地価調査(7月1日発表)におきましては、北陸新幹線が関係した飯山市は住宅地平均は△2.5%、商業地で、駅前ではありませんが△3.0%と下落が止まりません。又、中央リニア新幹線関係では地価公示(1月1日発表)では長野県の飯田市の住宅地で△1.3%、岐阜県の中津川市の住宅地平均で△0.6%、山梨県の甲府市の住宅地平均で△1.5%となっていることから、高速交通網の整備によりこれからの日本においては、地方と都会の2極化が更に進行する可能性があるものと思われます。前回若者代表として斉藤希生子さんの話を聞いた所でありますが、「地方創生」が掛け声だけで終らない様、地域の魅力について国や行政に任すのではなく、住民皆で考える時期に来ている様に思います。
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