3月21日 会長挨拶

 八十二銀行茅野支店の山岸支店長をお迎えしています。私は、昭和50年に大学を卒業して、その年の公認会計士二次試験に合格し、翌年昭和51年4月に、今の新日本監査法人の全身の一つである監査法人第一監査事務所に会計士補として勤務しました。
 ちょうど銀行監査の始まった年で、私の担当は青森県の青森銀行でした。以来昭和63年にこの仕事を辞めるまで、ほぼ毎月1回3~5日間青森に出稼ぎに行っていました。そんな縁で、地元の長野相互銀行が監査対象となったとき、冬至在籍していた監査法人中央会計事務所の仕事として担当して、ローテーションで監査責任者を交代した5年前くらいまでずっと長野銀行の監査に関わっていました。
 中央青山から新日本の監査法人時代には、長野信金、松本信金、伊那信金、赤穂信金、アルプス中央信金、巣鴨信金と多くの信金の監査も担当してきました。業種的には金融機関の監査が一番多かったかも知れません。青森銀行時代には、大蔵省による護送船団行政の時代で、行政規制でがんじがらめでしたが、代わりにノーリスクの監査で、監査には楽な時代でした。
 現在は様変わりで、銀行の監査は非常にリスクの高いものになっています。中央青山監査法人の最後みすず監査法人は精算法人になっていますが、いまだに足利銀行の監査にかかる被告として、東京高裁で訴訟が継続しています。
 地方銀行は、地域のリスクというべきものを抱えていて、長野県経済と違う動きで八十二銀行が、成長したり衰退したりすることはあり得ません。同じように茅野支店でみれば、茅野地区の経済の動向と無関係に支店の業績が上下することも無いと思います。先日の「こまくさ会」の講演会のような事業を通して、地元経済界に密接な関わりを持とうと努めている山岸支店長の手腕に大いに期待したいと思います。


Last Update:2012年03月21日